
2025年3月のメニューギャラリー





CUCINA MATERIAL空想劇場
「春の訪れが運んできたもの」
「若い社員は、すぐに結果を求めたがる。
素材の個性を生かす忍耐力も、基本を磨く努力も足りない」
3月初旬、窓の外では小雨が降り始めていた。

CUCINA MATERIALIの静謐な空間に入店した佐々木誠司(55歳)の表情は曇っていた。
大手メーカーの取締役として、数百人の部下を束ねる彼の肩には、目に見えない重圧が乗っている。
「ボンジョールノ!ようこそいらっしゃいました、佐々木様」
AYUMIの柔らかな声が、硬直した空気をほぐしていく。
「最近の新入社員は、すぐに評価を求めてくる。
こちらが期待する結果も出せないのに」
店内に他の客はいない。
月に二日だけ営業するCUCINA MATERIALIは、
今月も一日目の営業を静かに始めていた。
「今日はosakabeが腕によりをかけた前菜の盛り合わせからスタートです」

運ばれてきた前菜を前に、佐々木は思わず息を呑んだ。
5つの小皿が、まるで桜の花びらのように配置されている。
「これは…」
それぞれの素材が持つ個性を生かしながら、
全体として調和するよう心がけているんです」
AYUMIの説明に、佐々木は無言で頷いた。
ポークとチキンのリエットから始め、
菜の花、
ポークフィレ肉、
タコ、
そしてナスへと、
彼は慎重に箸を進める。
どの一皿も主張し過ぎず、
かといって個性を失うこともなく、見事な均衡を保っていた。
「これは…チームワークの理想形だ」
佐々木の声には、僅かな感動が混じっていた。

続いて運ばれたエビとキノコの入ったガーリックバターソース和えの生パスタに、
彼は目を細めた。
芳醇なバターの香りと、
海老の甘み、茸の旨味が複雑に絡み合い、
一体となって口の中で広がる。
「違いを認め合う…か」

サーモンのパン粉付け焼き、ジェノベーゼクリームソースを前に、
佐々木は思わず笑みをこぼした。
サーモンの繊細さとバジルの香り高いソースが、
互いを引き立て合っている。
「部下の良さを見出し、伸ばしてやることが私の仕事なのに…
最近は自分の基準で切り捨てることしかしていなかったな」

鴨胸肉のオーブン焼き、カシスのソースが運ばれる頃には、
彼の表情はすっかり柔らかくなっていた。
「osakabeさん、あなたは部下をどう育てているのですか?」
カウンター越しに静かに料理を作り続けていたosakabeは、
初めて口を開いた。
「教えるのではなく、気づかせる。
急がず、焦らず、それでいて手を抜かず」
その言葉に、佐々木は深く頷いた。

甘いドライトマトを使ったタルトを前に、
彼は小さなノートを取り出した。
「時間をかけることで、本当の味が引き出される…
明日から、新人たちと一緒に昼食を取ることにしよう」
食後のコーヒーを飲みながら、佐々木は穏やかな表情で窓の外を見つめていた。いつの間にか雨は上がり、薄明かりが雲間から差し込んでいる。

「春はもうすぐですね」
AYUMIが微笑む。
「ああ、社内にも、春を呼び込む時が来たようだ」

店を後にする佐々木の背中には、かつての威厳と新たな柔軟さが共存していた。
osakabeは黙って包丁を研ぎながら、三月の奇跡を静かに噛みしめていた。
それは料理人として、これ以上ない幸福の瞬間だった。