小さな小さなマテリアル食堂

2025/01 GALLARY

「彼女が仮面を外す頃」

「予約の確認を取るのに三か月もかかるなんて、
そんなに待たせる店に何の価値があるというの?」
1月の寒風が吹き付ける夕暮れ時、
CUCINA MATERIALIの前で声高に不満を漏らす女性客を、
ホールスタッフのAYUMIは満面の笑顔で出迎えた。
「お待ちしておりました。中里様でいらっしゃいますね」
「ええ。予約時間きっかりよ。遅れるなんて失礼じゃないかしら」
中里美咲、42歳。
高級ブティックのバイヤーとして名を馳せる彼女は、
完璧主義で知られていた。
月に2日しか営業しないという謎めいたレストランの予約を取ったのは、
業界での話題に乗り遅れまいという打算からだった。
「本日は1月の営業、一日限りの特別なお料理をご用意しております」
白木のカウンター越しに、料理人のosakabeがわずかに会釈する。
物静かな彼の佇まいに、美咲は小さく舌打ちした。
最初に運ばれてきたキノコとエビのサラダに、美咲は疑わしげな目を向ける。

キノコとエビのサラダ仕立て

しかし、一口口に運んだ瞬間、彼女の目が微かに見開いた。
茸の香りと海老の甘みが、まるで森と海が出会うように口の中で調和している。
「これは…」
言葉を詰まらせる美咲に、AYUMIは優しく微笑んだ。
「osakabeさんは、食材同士の出会いを大切にするんです」
続くジェノベーゼソースの生パスタでは、美咲の固い表情が少しずつ緩み始めていた。

ジェノベーゼソース和えの生パスタ

バジルの香りと手打ち生パスタの食感が、彼女の心の扉をそっと叩いている。
魚貝のアクアパッツァ風スープにたどり着く頃には、

魚貝のアクアパッツァ風スープ

美咲は既に無言で料理に向き合っていた。
温かな出汁が体の芯まで染み渡り、彼女の瞳が潤んでいく。
牛ロース肉のロースト、アリオリソースがけが運ばれてきた時、

牛ロース肉のロースト、アリオリソースかけ

美咲は小さくため息をついた。
「どうして…こんなに心に響くのかしら」

抹茶のプリン

デザートの抹茶プリンを前に、彼女の頬には一筋の涙が伝っていた。
完璧を求め続けた自分に、どれだけ心を閉ざしていたのか。
その気付きが、甘さと苦みの調和と共に彼女の心を溶かしていく。
食後のコーヒーが運ばれる頃、
osakabeが彼女の前に姿を現した。
「本日は、ご来店いただき、ありがとうございました」
その静かな声に、美咲は深々と頭を下げた。
「私こそ、ありがとうございました。
人生で最高の食事でした」
店を後にする時、美咲の表情は晴れやかだった。
厳冬の夜空に、新しい星が瞬くように。
AYUMIは、そんな彼女の後ろ姿を見送りながら、こっそりと目を拭った。
この夜も、また一つ、食事を通じた小さな奇跡が起きたのだ。
月に2日だけのCUCINA MATERIALIは、そんな奇跡を静かに紡ぎ続けている。